無法松の一生 [映画]
日本映画専門チャンネルで放映していたのを観ました。この映画、私はいったい何回観たのだろうか。TVでやるたびに観て、まあ、あまりにも旧い映画なので映画館ではあまりやらないから。
この映画を初めて観たのは、小学校6年生ぐらい?父に連れていってもらった「阪妻映画祭」でした。この映画と「血煙高田の馬場」。ともかく鮮烈でした。別に戦前の話ではありません。
「無法松の一生」は、戦後、何回か再映画化されているが、やはり、この映画がナンバーワンだと思っています。
1943年の作品ですから、画質も音声も悪いけれど、それを上回る映画としての質の高さ。そして宮川一夫というカメラマンの巧みなカメラワーク。
阪妻という時代劇の大スターが初めて現代劇に出演した作品ですが、阪妻さんは、車引きに車の引き方を習い、生活まで車引きそのままにして撮影していたそうです。
この映画をこの時期に観ると、どうしても戦争の影を感じずにはをえない。松五郎が生涯をかけて世話をする吉岡敏雄とその母良子。この未亡人良子を演じた園井恵子さんは、慰問先の広島の原爆で亡くなり、映画の重要なシーンは、戦争中の検閲でカットになり、また、戦後も今度は、GHQによって別のシーンがカットになっている。しかし、それでも後世に残る映画。
宮川一夫さんの遺品の中から発見されたGHQがカットしたシーンを特典映像として加えられたDVDが発売されています。
あのおチビさん、長門裕之さんですが、以前田村高廣さんと色々対談で話していたのを思い出しました。
阪妻の面差しも演技力も一番引き継いでいた高廣さん。
もっとおじいちゃんになった(80歳以上の)演技も見たかったなぁと思わせる俳優さんでした。
当時の映画界って遅れていたのか状況が許さなかったのかわかりませんが、マスターテープの保存って言う概念が無かったみたい。
「無法松~」もBSで見た事ありますが、セリフよりプツプツ音の方が大きかったくらいでした。
アメリカなんて70年以上前の映画でも、クリアーな状態で残されてますものね。
ポケタンさんが昔の作品を発掘してくださるので、記憶を紐解けるきっかけになるのがありがたいです。
by おいちん (2009-08-09 15:01)
高廣さんは、好きな俳優さんでした。「泥の河」やテレビでやっていた「助け人走る」など。「街道を行く」のナレーションもよかったです。
確かにマスターテープの保存には無頓着だったみたいですね。でも、日活や大映、松竹、東宝などの大手はまだましだったようで、大都などはまったくないらしいです。
アメリカ映画は、1920年代の映画でもいい状態で残ってますものね。
by ポケタン (2009-08-09 22:06)
先日録画して見ました。
阪妻さんいいですね。
チャンバラだけの方だなく、しみじみと…素晴らしい俳優さんだなあと
それにしても田村高廣にそっくりですね。
息子さんは他にもいらっしゃるけれど。
by 猫 (2009-08-10 11:53)
そうですね、高廣さんが一番面差しも似ていますね。でも、高廣さんは、最初は、役者さんになる気は全然なかったそうで。一番、なりたがっていたのは、正和さんだそうです。わかる気がします。
by ポケタン (2009-08-10 23:33)