十九の春 [國村隼様]
このところ田辺聖子さんのパーティの記事を読ませていただいたせいで「芋たこなんきん」への思いがつのってまいりました。
「十九の春」。奄美のことを思い出して、茶の間でみんなで歌うシーンがありましたよね。あれで私はこの歌を初めて知り、すごく印象的で、いつまでも哀調を帯びたメロディーと歌詞が耳に残りました。
今年の2月末の土曜の朝にテレビを見ていたら、井筒和幸監督がこの歌のことで奄美を訪れるという番組をやっていました。
朝崎郁恵さんという奄美の歌手が歌う「嘉義丸の歌」という歌があり、それは1943年に大阪から沖縄に向かう貨客船嘉義丸がアメリカ軍に撃沈されたことを歌っていて、これは、郁恵さんのお父様がこのことを悼んで歌詞をつくられたそうです。そしてそれはこの「十九の春」と同じメロディーなのです。戦後は米軍に占領されていた奄美では、禁止曲となっていたそうですが、バタやんが原曲の「十九の春」を1975年にヒットさせたことで、この「嘉義丸の歌」のことも日の目をみるようになったんだそうです。
奄美の人たちにとっては、いろいろな思いで歌う歌だったのですね。
「十九の春」。奄美のことを思い出して、茶の間でみんなで歌うシーンがありましたよね。あれで私はこの歌を初めて知り、すごく印象的で、いつまでも哀調を帯びたメロディーと歌詞が耳に残りました。
今年の2月末の土曜の朝にテレビを見ていたら、井筒和幸監督がこの歌のことで奄美を訪れるという番組をやっていました。
朝崎郁恵さんという奄美の歌手が歌う「嘉義丸の歌」という歌があり、それは1943年に大阪から沖縄に向かう貨客船嘉義丸がアメリカ軍に撃沈されたことを歌っていて、これは、郁恵さんのお父様がこのことを悼んで歌詞をつくられたそうです。そしてそれはこの「十九の春」と同じメロディーなのです。戦後は米軍に占領されていた奄美では、禁止曲となっていたそうですが、バタやんが原曲の「十九の春」を1975年にヒットさせたことで、この「嘉義丸の歌」のことも日の目をみるようになったんだそうです。
奄美の人たちにとっては、いろいろな思いで歌う歌だったのですね。
こんばんわ、東北旅行中に読んだ、読売新聞朝刊に田辺聖子さんのエッセイ(夢見る文学)(5月19日現在→10回)が連載されていました。
毎日の連載ものらしいです。
エッセイは芋たこなんきんを連想させるような内容でした。
by パイナップル (2009-05-20 00:45)